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PLANETS の「遅いインターネット」を考える

こんにちは、ほんちゃん(@hmasa70)です。

ついにPLANETS vol.10が手元に届きました。

オンラインサロン「PLANETS CLUB」の入会特典でいただいたもの。

注意

2018年9月までの入会者特典。

届いたのは奇しくも杉田水脈擁護問題で揺れる新潮45の休刊が発表された日。

大企業だけでなく、メディアもいつ危機が訪れるかわからない時代です。

ユーザーにおもねらず、常に新しいことにチャレンジしていかないと、見放されることはどの仕事も同じ。

一方で、40代以下の人たちが新しいメディアやプラットフォームをつくり、新しい価値感を発信して若者層から共感を得ていたりします。

PLANETSもそうしたメディアの一つです。

団塊ジュニアが社会から放り出されないよう、ボクらも必死に時代についていかないといけません。

オンラインサロンに入っていると、それくらい価値感の変化を感じます。

テレビが若者の共通メディアでなくなった今、地方では意識して情報をキャッチアップしないと新しい時代の価値感に触れる機会すら失いつつあります。

PLANETS vol.10はその新しい価値感を発信した雑誌であり、オンラインサロンの「PLANETS CLUB」の全体像をつかむのにも適した媒体じゃないかなと思います。

補足

目次や概要については、http://wakusei2nd.com/articles/planets10/を参照

ですが内容が多岐すぎて、網羅的に語るのはとても無理(というか、全部を読みきれていない)。

なので、ボクがサロンに入るきっかけだった「遅いインターネット」について感想を書きたいと思います。

PLANETSに興味を持ったきっかけ

PLANETS vol.10は270ページを超えるほど分厚く、2700円もするかなり骨太の雑誌です。

実体を知らないとなかなか手が出ない本。

実際に一般の書店には出回っておらず、ボクのような地方居住者が購入しようと思うと、直販サイトかアマゾンしか選択肢がありません。

補足

購入サイトはこちら(http://wakusei2nd.thebase.in/items/13535066)

ここで購入すると宇野常寛さんの10万字超えのお手紙付きw

つまり、立ち読みしてふらっと買おうとはならない雑誌。

ホクがこの本に惹かれたのは、責任編集者の宇野常寛さんの影響です。

「魔法の世紀」や「デジタルネイチャー」で有名な落合陽一さんの本の編集者として名前は知っていましたが、ご本人のことはあまり知りませんでした。

小泉進次郎さんと落合陽一さんが開催した平成最後の夏期講習をYouTubeでみた際、これからの教育のあり方として、

「今の若者は再分配的に生まれた時点で損。海外に行った方が有利な人もいる。そういう世界の残酷な真実を教えることが教育」

というコメントを聞いて、切れ味鋭いことを言う人だなと印象に残りました。

その宇野さんが「これからは遅いインターネットだ!」というのをTwitterで発信しているのをきっかけに「PLANETS CLUB」に参加しました。

自分の興味以外にも手が伸びやすい紙媒体

インターネットのことを紙媒体の雑誌で語るの?と思うかもしれません。

確かに巻頭グラビアのチームラボの記事は、カラフルな映像は動画の方が伝わるし、彩度が高い背景に重なった文字は40歳過ぎのおっさんの目にはちとツライ。

でもネットだと指向性が強いので、自分の興味ある分野の記事しか読みません。

雑誌というメディアだと、ふとしたときに自分の好きな分野以外も目を通すので、自分が今まで知らなかった世界に触れる機会があります。

PLANETSは政治からサブカルチャーまで多ジャンルを扱っているので、紙媒体が最適だと思います。

ここでは触れませんが、映画監督の押井守やアスリートの為末大、プロブロガーのイケダハヤトなど、各分野の第一人者の記事が山ほどあります。

琴線に触れた人はぜひ、購読してみてください。

遅いインターネットとは?

宇野さんは「遅いインターネット」計画によって、脊髄反射的で考えないようになってしまったTwitterから、切り離したウェブメディアを構築しようとしています。

コンセプト段階から、サロン等を通じたオープンな議論によって、メンバーと一緒に作り上げる感じ。

ただ政策的な「正しさ」を発信するのではなく、「面白さ」を通じた文化を発信したいという点がとても身近さを感じます。

発動篇の記事ではカットされていますが、「遅いインターネット」のイメージとして糸井重里さんの「ほぼ日」を挙げていたのが印象的でした。

補足

オンラインサロン「PLANETS CLUB」に入ると、動画コンテンツも見れます。

「ほぼ日」こそ、生活文化メディアです。

ボクが社会人になったばかりの2001年に随分ハマり、むさぼるように読んでいました。

ほぼ日手帳も初年版を購入したくらい。

無料で良質な記事が読めるという、インターネット初期の感動体験がそこにありました。

ほぼ日の世界観を書いた「インターネット的」では、梅棹忠夫の情報論をマクラにしながら、次の信頼社会を見通していたのはほんとに慧眼だったと思います。

10年以上も読みつがれ、新書から文庫になる本もあまりないと思います。

ただ、他のメンバーには、それほど響いていないようでした。

ボクにとって「ほぼ日」は、生活と文化とコミュニティを先取りした先端的なメディアでした。

でも、その当時の空気感を共有していない人やインターネットが当たり前すぎる若い世代とはまた感覚が違うのかもしれません。

プラットフォームとメディア

「遅いインターネット」計画では、FBやTwitterのようなプラットフォームではなく、メディアマガジンでの発信を考えているようです。

ボクも宇野さんが言うように、メディアの可能性を信じたい1人です。

やはり良質なコンテンツがほしい。

確かにウェブにはあらゆる情報があります。

でも断片的過ぎて、筋道をつけて整理することすら大変な状況です。

情報の流れが早すぎて「考えない」だけじゃなく、断片的すぎて統合して考える力も培えないようになっています。

遅いインターネットは「面白さ」を通じた文化的なつながりを意識しているようですが、「正しさ」を意識した社会的なメディアもずいぶん不足しています。

総合的な知識や情報、そして個々へのインタラクティブなサポートは、これからますます重要になるのではないでしょうか。

「遅いインターネット」の文脈とはちょっと異なりますが、フリーランスになりたてのボクは、青色申告をネット情報だけでどこまでやれるか試みました。

仕事柄、ネット情報の真贋を見分けたり、再統合などをわりかし行っている方ですが、やはり限界があります。

専門家にアドバイスを受けに行くと、自分が都合良く解釈していたり、ムダに詳しくなっている部分があったり、情報や知識のムラが明らかでした。

インターネットの情報だけに頼ると歪みが生じる危険性を肌で感じました。

ヘイトの排除と多様性の担保の両立は可能か

ボクらが生まれるずいぶん前、

「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると人間の想像力や思考力を低下させてしまう」

という大宅壮一さんの「一億総痴呆化」という言葉が流行語になった時代がありました。

宇野さんのTwitterへの発言をみていると、時代は繰り返すものなんだなとしみじみ思います。

ただテレビが強かった時代は、同級生や同僚と共有できましたが、今は情報が個別的、断片的です。

同じ話を共有できなくなった人たちが、発信者本人に毒を吐くようになってしまっています。

発信者がそれによって疲弊したり、コミュニケーションを遮断することで、多様な価値感への感受性が希薄になってしまわないかが心配です。

ヘイトを排除しながら、多様性を担保するにはどうすればいいか、悩ましい課題があるなと感じました。

遅いインターネットは誰のためのものか

「遅いインターネット」計画の議論をみていると、ボクらは世代的に対象から外れているように感じます。

これから日本を支えていく若い世代の新しいメディア。

ボクらも次の世代の感覚を学んだり、置いてけぼりをくらわないために参加させてもらえればいい。

自分の子どもたちが新しいことに興味を持ち、チャレンジするきっかけになれば、なおありがたいです。

「遅いインターネット」は自分が成長できるメディアであってほしい。

そのために、クラブメンバーとしてお手伝いできることがあれば、積極的に関わっていきたいと思います。

ほんちゃん(本田正明)

地方生まれ、地方育ちの40代子育てフリーランス。都市計画の専門家ですが、地場企業や大学、自治体と公民学連携プロジェクトに携わっています。学生たちと農漁村での地域づくりやソーシャルビジネスを展開中。フィールドワーク大好き。福岡県糸島市在住。九州産業大学非常勤講師。

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