こんにちは、ほんちゃん(@hmasa70)です。
2019年のベストセラーになった「ファクトフルネス」。
データを扱う職業なので、勝手に内容を想像して、これまで手をつけずにいました。
大学の講義で学生たちに紹介しようと読んでみたのですが、正直いって目からウロコ。
自分がいかに間違った目で世界を見ていたかということを気付かされました。
怖いのは「無知」ではなく、「先入観」。
過去の情報にしばられず、常に更新していかないと改めて感じました。
学生だけでなく社会人にも必読書なので、紹介したいと思います。
この本では最初、いくつかのテストがあります。
たとえばこんな問題。
現在、低所得国に暮らす女子の何割が、初等教育を修了するでしょう?
A 20% B 40% C 60%
どう答えたでしょうか?
正解はCの60%。
実はこの問題、日本人の正解率は7%しかありません。
ただこの回答率は、他の国でもジャーナリストでも大して違いません。
チンパンジーでも3割は当たるのに、なぜ低い正解率になるのでしょうか?
世界はまだまだ悪いはずという悲観的な先入観がある、というのが著者の見解です。
ボクらの知識は、数十年前ぐらい前の知識で止まっていて、アップデートされていないと。
でも現実の世界のほとんどの人が中間層におり、生活レベルは近づいています。
「豊かな国と貧しい国」という区別が意味をなさなくなっている事実に、ボクらはなかなか気づかないわけです。
著者のハンス・ロスリング博士は、スウェーデンの出身の医者で公衆衛生の専門家です。
アフリカの僻地での感染集団の研究を20年にも渡って行っていました。
その後、アフリカ、アジア、ラテンアメリカなどの経済開発、農業、貧困、健康などの関係性について研究を行っています。
そのため、世界の変化を敏感に感じていました。
過去の知識がアップデートされていない問題に取り組むきっかけになったのは、1995年10月のスウェーデンでのある講義。
学生たちとの対話の中で、データを通じて世界の誤解を解くことができる、ということに気づきたことで、この取り組みを続けています。
今でも彼のTEDをいくつか見ることでできますが、どれもデータを駆使して説明する姿が印象的です。
世界の誤解を解くというテーマを自分に課し、10年、20年単位で正面から取り組み続ける。
専門性は違えど、課題と向き合う姿勢は学ぶべきものが多くありました。
この本では、さまざまな「思い込み」にいかに思考停止せずに向き合うかを語っています。
当然、数字だけで理解した気になる思い込みもあります。
数字を見ないと、世界のことはわからない。
しかし、数字だけみても世界のことはわからない。
この言葉の重さは、モザンピークでの現場経験の話を読むと痛切に感じます。
そこで彼は毎日、子どもたちの死と直接向き合っていました。
目の前の患者に時間と労力をかけすぎて、助かるはずの命を見捨ててはいけない。
限られた時間と労力の中でデータを駆使しながら、できるだけ多くの命を救っていました。
ボクはそんな緊迫感でヒリヒリ現場経験はありませんが、地域にどっぷり関わっていると、周りが見えなくなることがよくあります。
第三者として冷静に現状を俯瞰し、判断を誤らないためにデータは必要ですし、逆にデータだけでは地域の課題の本質は見えません。
判断を間違わないために、「数字」と「現場」のどちらも大切です。
どちらかを見失うことがないように、常に意識しておきたいと思いました。
数字のデータ以上に扱いが難しいのは、実は「現場」の方でしょう。
現場のことは経験した本人以外に、簡単に持ち運べないのでなかなか理解されません。
また反証しにくいので、思い込みが強くなります。
この本では「 Dollar Street 」という、世界のそれぞれの経済レベルの人たちの生活を視覚的にわかりやすくしたサイトを紹介しています。
実はこのサイト、ハンス・ロスリング博士の息子夫妻が協力して設立した「Gap Minder」という団体が運営しています。
日本語表示もできるので見てみましたが、現場感をデータベースで伝えようとする発想に驚きました。
世界の人々は「豊かな人」と「貧しい人」に分かれておらず、中間層が多いことを先入観なしに伝えようとしています。
とはいえ、現場に行かなければわからないことも多いと感じたのも事実です。
本の中では、上記のチュニジアの建てかけの家に住む人の話が出てきます。
写真だけみると、チュニジアの人は怠け者なのか、計画性がないのかと決めつけかねません。
でも銀行口座を開けず貯蓄やローンのできない人にとって、インフレや盗難のリスクを避けつつ資産を守る手段として、10年15年かけて家を作りながら住むことは理にかなっているわけです。
こうした背景を理解するためにも、やはり現場をフィールドワークし、自ら気づく経験が必要だと感じました。
原因や課題がわかったからといって、アウトプットが簡単なわけでもありません。
1950年代にインド全土での結核を根絶しようと、レントゲン機を備え付けたバスで農村を周り、国民全員を検査する計画は大失敗に終わったそうです。
理由は村民を怒らせてしまったから。
村民が待ち望んだ医師と看護師は、骨折の治療も出産の助けもしてくれず、聞いたこともない病気のためにレントゲンだけを撮ろうとしたからです。
この話は、外部の人間が地域にとって良かれと思って取り組むことが住民の望むこととは限らない、ということを知る上でも示唆的です。
ボクらのような外部の人間が、地域の実情を踏まえずに田舎に都会的な発想を押し付けてしまうことは、今でもよくあります。
それと同時に、自分の専門性とは異なる提案が必要なことも多々。
自分の立場ではなく相手の立場で何が必要か、ということを丁寧に関わりながら、見極めていく姿勢が必要なのだと感じました。
この本を読んだのは、奇しくもコロナウイルスで緊急事態宣言が出されて自宅待機を余儀なくされているとき。
公衆衛生の実例が、現実と重なりリアルに心に響きました。
一方で社会ではコロナウイルスを蔓延させた「犯人捜し」に躍起。
ハンス・ロスリング博士が生きていれば、
犯人捜しをしている場合ではない。問題を引き起こすシステムを見直さなければならない。
と、嘆いたことでしょう。
誰かのせいして、楽な気分になりたいという空気はいたるところにあります。
でもメディアやジャーナリストが悪いわけでも、WHOが悪いわけでもありません。
世の中はそんなに単純ではなく複雑で、向き合い続けないといけないものだということにもっとボクらは気づかないといけません。
一方で一部のリーダーだけを讃えることも思考停止につながります。
わたしは普通の人を讃えたい。世界の発展に貢献してきた名もなきヒーローを讃えて、パレードをしようじゃないか。
コロナウイルスの危機が去ったとき、ボクは彼の上記の言葉を思い出したいと思います。