こんにちは、ほんちゃん (@hmasa70)です。
久しぶりにいい本に出会いました。
とはいえ、この本をどこで知り見つけたのかは全然覚えていません。
それだけの期間、積読になっていました(笑)
たまに棚卸しするのは大事ですね。
サブタイトルには、「この自殺率の低さには理由(わけ)がある」とあります。
その理由には、コミュニティが関係しているのでは?と思いながら、本を開いたのですがその通りでした。
生き心地の良さとコミュニティがどう関係していたのか、紹介したいと思います。
田舎なのにオープンでフラットなコミュニティ
舞台は徳島県の海部町というところ。
現在は市町村合併して、海陽町の一部となっています。
町全体が家族のようなコミュニティなのかと思ったら、真逆。
オープンでフラットな人間関係が昔から続いているそうです。
田舎なのに、コミュニティが閉鎖的でないことは意外でした。
その具体例として「朋輩組」という相互扶助組織が出てきます。
こうした組織は、よく男性中心で地元の人間しか入れず、排他的なイメージがあります。
でも、海部町の朋輩組は女性も移住者も参加でき、入退会も自由。
個人の自由意思が最大限尊重され、体育会系的な先輩のしごきなどは皆無なんだそう。
現在の感覚では当たり前ですが、封建的な時代から続く組織では珍しいケースです。
しかも、当屋という町内会のような別の組織もあるため、必ずしも朋輩組に入る必要もありません。
複数のネットワークがあり、どこかに引っ掛かれば生きていける。
そうした気楽さ、どこか息が抜ける関係性が海部町にはあるようです。
赤い羽募金が集まらない土地柄
住民の性格についての記述も非常に面白いです。
赤い羽募金が集まりにくい土地柄なんだとか。
「だいたいが赤い羽根って、どこに行て何に使われとんじぇ」
「ほないわけのわからんもんには、百円でも出しとうないんや」
というように、他人と足並みをそろえることに重きを置いておらず、人は人、自分は自分という考えが一貫しています。
また、特別支援学級の設置について海部町では異論も。
理由は、「他の生徒たちと多少違いがあったとしても、別枠で囲い込むのはおかしい。クラスの中にいろんな個性があった方がいい」というものだったそうです。
海部町では、昔から個人が自律していて互いに個性を尊重し合える環境があるということが驚きでした。
こうした人の多様性、意見の多様性を歓迎する風土こそがソーシャルキャピタル(社会規範)なんだと思います。
挨拶程度の付き合いが大事
この本を読んでまず感じたことは、「今まで自分が感じていたことに裏付けをもらえた」ということ。
私も少なからずいろんな地域に関わっていますが、中学生の頃のいじめの経験などもあり、濃厚な地域コミュニティに入り込むには抵抗があります。
地理的に離れていて、月数回程度で会う距離感だからこそ、続けられる面もあります。
そんな距離感で、地域と一緒に活動しているといえる立場だろうかという負い目がこれまではありました。
でも、筆者が海部町で行った「隣人との付き合い方」のアンケート結果を見て、正直ホッとしました。
あいさつや立ち話程度のつきあいがほとんどだったからです。
日常的に生活面で協力 | 立ち話程度のつきあい | あいさつ程度の最小限のつきあい | つきあいはまったくしていない | |
海部町 | 16.5 | 49.9 | 31.3 | 2.4 |
A町 | 44.0 | 37.4 | 15.9 | 2.6 |
海部町ではつるむことだったり、コミュニティ自体を目的化していないんだなということを感じました。
距離感の近い濃い付き合いは、相手の嫌な面なども見えてきてしまうため、マイナス面も少なくありません。
物理的に離れたり、軽い付き合い方は大切な考え方かもしれないと改めて思いました。
ただ都会の人にとっては海部町の人たちの距離感すら、煩わしいと感じるかもしれません。
とはいえ、都会でもいざとなったら助け合える人間関係と距離感はあった方がいいとも思います。
利害関係もなく、近所に住む人たちとプライバシーを守りながら、関係性をどう築けるのか。
しかもコミュニティの形成自体を目的化しない形とはどんなものがあるか、自分の中では想像できず、難しさを感じます。
孤立をダサい、支える覚悟を持つ文化を育てる
ただ、私たちがすぐに取り組めそうなヒントもありました。
「人に強制することは野暮(ダサい)」という文化がそれです。
もう少し言い換えると、「人の言いなりで自分で考えない人間はダサい」ともいえます。
今、学生のうちから起業や創業を求めたり、カッコいいという風潮も見られます。
裏を返すと、盲目的に就職しか考えないというのはダサいとも言えます。
流行や風潮の乗ろうとするだけの人は問題ですが、自分で仕事や働き方を考える機会を持つことはいいことだと思います。
こうした風潮を文化として定着させて行くのは、私たちの役目かもしれないと感じました。
でも「ダサい」といったり、風潮を生み出す側にも、責任と覚悟が問われます。
起業や創業は並大抵では、できることではないからです。
海部町の朋輩組には、後輩たちがミスしても「一度は堪えたり」という文化もあるのだそうです。
「ダサい」というだけでなく、「一度は堪える」という心構えも合わせて伝えていかないといけません。
海部町の人たちが、若者たちをどのように見守っているのか。
一度、お遍路を兼ねて一ヶ月ぐらい現地に滞在して、人柄にふれてみたい場所だなと思いました。