こんにちは、ほんちゃん(@hmasa70)です。
宮崎県日南市の油津商店街再生の取り組みはテナントサポートミックスマネージャー(以下、サポマネ)の木藤さんが市長を超える月額90万円などで話題になり、その後実際に29もの店舗を誘致し、奇跡のまちづくりと報道もされたのでご存知の方も多いかもしれません。
地域づくりの裏方に関わる人間としては、あの成果にたどり着くまでの裏方の苦労が気になります。
地元の協力者もいなければ簡単に進まないからです。
別プロジェクトの企画に九州大学持続可能な社会のための決断科学センター准教授高尾先生をお誘いした際、日南市中心市街地活性化事業(以下、中活事業)のチーフディレクターとして関わられていたことを知りました。
実は高尾先生は、九州大学景観研究室の仲間です。由布市の景観計画などでも一緒に仕事をさせていただきました。
お互いに景観分野のみならず、様々な地域づくりのマネージャーや裏方として活動をしています。
ぜひ表には出てこない中活事業の舞台裏を教えてほしいとお願いして、話をしていただきました。
以下、高尾先生のお話です。
まちづくりはチームプレー
まちづくりはチームプレーなので1人ではできません。
私には私の舞台裏があり、市の職員にも、市民にも、サポマネの木藤さんにも、それぞれ舞台裏があります。
それが油津のまちづくりの良かった点です。
それだけみんな必死だったし一生懸命でした。私の話は油津のプロジェクトの全体像ではありませんが、まちづくりがどのように進んだのか、私からみた舞台裏をお話したいと思います。
日南市には内陸に城下町飫肥があり、車で10分ぐらい離れた港に油津があります。
飫肥杉を油津港から搬出するための港町として発展したのが油津でした。
飫肥と油津は仲がよくなくて、役所はその中間にある吾田(あがた)におかれました。
現在では、人口は吾田が一番多くなっています。
私は東大土木出身なのですが、恩師の篠原先生が油津のデザイン会議(のちにデザイン部会に縮小)のメンバーでした。
ある日、中活事業のコーディネートをしてほしいと電話があり、二つ返事で受けたのが関わるきっかけです。
以前務めていた会社で油津に関わったこともあり、元気のない商店街のイメージを持っていました。
大変な仕事を受けてしまったというのが第一印象でした。
スタートは2大組織の対立の緩和から
当時、油津商店街はデザイン会議(いわゆるよそ者)と中心市街地活性化協議会(地元有力者)という2つの組織があり、複合ビルの開発を巡って対立している状況でした。
どちら側にも入っていない人をコーディネーターとして真ん中に据えようと、日南市の発案で九州工業大学(当時宮崎大学)の吉武先生と私が呼ばれたようです。
デザイン会議と中心市街地活性化協議会は、どちらも油津をよくしたいという思いは一緒ですが方法論が違います。
お互いがほとんど話をしていないのが現状で、批判が間接的に伝わるのが問題だと感じました。
両者がテーブルについた70人あまりの油津まちづくり会議(以下、まち会議)を設置して、最初に「油津基本方針5か条」というものを提案し、“長い目でみて地域のためになることをしよう”という総論の確認を行いました。
会議や飲み会を1年間続けることで、深く理解しあうほどではありませんが、誤解と対立は大分解けたと思います。
日南市中活事業の体制図(最終時点)
油津まちづくり会議の基本方針5か条
- 油津地区は、日南市の「中心市街地」としての役割を担っており、本会議で検討される事項は、油津地区の地域社会、地域経済の向上を目的とすると同時に、日南市全体の地域社会、地域経済の向上に貢献するものでなければならない。
- 本会議で検討される事項は、他地域の物まねではなく、「日南市オリジナル」の豊かな暮らしの創造を目指すものでなければならない。その際、本会議で目指す「豊かさ」については、経済的なものに加えて、精神的なもの、文化的なものなども含めた総体的なものとして考えることを基本とする。
- 本会議では、今後、中心市街地である油津地区と市内外の各地域がどのように連携していけるのか、その中で、油津地区においてどのような施策・活動を展開することが効果的であるのかについて、検討を行なうものとする。
- 本会議では、日南市における次世代の暮らしを常に意識し、10年後、20年後、50年後の日南市の地域社会と地域経済に貢献することを基本方針としながら、今年、来年、再来年と言った現在から近未来に具体的に何ができるのかについて検討することとする。
- 本会議を軸とした油津地区におけるまちづくりの取り組みは、今後、日南市の他地域におけるモデル的な存在となることを意識して、官民協働におけるまちづくりの推進方策について、常に評価、検証を行ないながら検討を進めることとする。
まちづくりの下ごしらえで60人にヒアリング
1年目は、他に地域のヒアリングをしました。
まち会議のメンバーは年配の方が多かったので、「若くて元気な人はいませんか」と呼びかけると役所の人はみんな「いませんねぇ」という反応です。
今、木藤さんの周りにいる人をみるとこんなにいるんだという感じですが、当時は見えていない状況でした。
油津に限らず、日南市内で面白い人がいれば話を聞きましょうと60人余りにヒアリングをしました。
日南市に行くときは毎回2泊3日でヒアリングと飲み会の繰り返し。最初は役所からの紹介で聞きに行って、数珠つなぎに花屋やカフェなど、面白いといわれる人に話を聞きに行きました。
その中から20人ぐらいをピックアップして交流会などを行いました。その参加者から木藤さんの応援団が10人ぐらい生まれています。
まちづくりの下ごしらえをしていたような状況でした。
中心市街地とはなにか?
60人余りにヒアリングをしている間、「なぜ油津が中心市街地なのか」ということを全員に言われました。
飫肥は元気だし、吾田も人口が集まっている、油津は衰退しているのに、なぜそこに力を入れるのかわからないということでした。
中活事業の採択を受けるには、中心市街地としての基盤ストックがあること、そこが良くなることによって周りも良くなる中心性があること、衰退していて危機的状況にあること、という3つの要件を満たす必要があります。
そのため、飫肥も吾田も油津も中心市街地だけど、中活事業の要件を満たすのは油津なんです、ということをシンポジウムなどを通じて丁寧に説明しました。
ただ、市民には不平不満が溜まっていたようで、中活事業1年目の途中で中活事業の中止・廃止を公約として掲げた崎田市長が当選しました。
油津まちづくり行動計画(案)づくり
もうひとつ、「油津まちづくり行動計画(案)」というものを提案しました。
これは常に更新し続けるという意味で(案)をとらず、事業期間の5年間ずっと更新し続けたものです。
油津の中活事業は全部で50事業ほどありますが、事業は各課から挙げてもらったものが多く、内閣府に計画の認定を受ける過程で担当者が変わるなどして、事業の位置づけや関係性などがよくわからないものが多く見られました。
中活事業自体はあまり変えられないので、スケジュール別や場所別に並べてみて、5年間の事業として整合性が取れているのかということをまち会議の下のワーキングで議論し、ロードマップの再編などを行いました。
ワーキングは中活事業のマネジメントを行う心臓部だったと思っていますが、5年間で30回行いました。
事業担当課が入れ替わりで事業進捗を説明し、課題などを整理します。
1回あたりの会議が5時間近くに及ぶ長丁場の会議でした。
ワーキングで整理したものを上部のまち会議に諮るのですが、まち会議自体は情報共有と割り切っていたので、実質的にはワーキングで調整を取り仕切っていました。
油津のまちづくり年表
年度
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出来事
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2012年度 | 事務局協議で「油津まちづくり会議基本方針五箇条」提示(6月) 油津まちづくり会議ワーキング設置(6月) 油津まちづくり会議設置(8月) 日南市庁内まちづくり懇談会(年度内5回) 内閣府 日南市中心市街地活性化基本計画 認定(11月) |
2013年度 | テナントミックスサポートマネージャー公募(4月) 事業委員会設置(5月) 木藤氏選定(6月) まちなかフリースペースYottenオープン(8月) 株式会社油津応援団設立(3月) 油津地区都市デザイン会議を油津まちづくり会議と統合(3月) |
2014年度 | ABURATSU COFFEEオープン(4月) デザイン部会設置(5月) 第1回中心市街地活性化事業シンポジウムを開催(11月) 油津赤レンガ館2F コワーキングスペースオープン(11月) 二代目湯浅豆腐店オープン(2月) |
2015年度 | 油津軒下イロドリ市(4月) 土曜夜市復活(7月) 油津Yotten、あぶらつ食堂オープン(11月) ABURATSU GARDENオープン |
2016年度 | 日南市観光案内所開設(12月) 市民活動支援センター(創客創人センター)開設(1月) 油津まちづくり会議閉幕(3月) |
2017年度 | 複合ビル「ふれあいタウンIttenほりかわ」オープン(4月) 子育て支援施設「ことこと」オープン |
まちづくりの持続性を期待されて木藤さんが選ばれる
中活事業の中には、柱になる事業と枝の事業があって、木藤さんが関わったテナントミックスサポート事業は3本柱の1つともいえる重要な事業でした。
当初、担当係長がワーキングに説明に来た際は、テナントミックスの計画をコンサルタントに委託してつくるという話でした。
それを個人に発注した方がいいという提案を私が延々繰り返したこともあり、結果的に個人に発注することになりました。
月額90万円というのは、もともとコンサルタントへの委託料を単純に12ヶ月で割ったものだったのですが、メディアに取り上げられたこともあり、全国だけでなく世界中から333人の応募がありました。
商業に詳しい人なども入ったテナントミックス事業委員会を立ち上げて、そこで5時間半かけた会議で10人に絞り込みました。
このプロセスの過程で、事業委員会のメンバーが、まちづくりの持続性を考えて、商業やテナント誘致の専門家ではなく、コミュニティデザインのできる人を呼ぼうという意識の共有ができたことが大きかったと思います。
その後、商店街の空き店舗を活用した公開プレゼンテーション(1次審査)や2次審査を経て選ばれたのが木藤さんでした。
その後は、木藤さんが地元の方々と一緒にまちづくりを進めていった取り組みがほとんどです。
ワーキングはほとんど関わっていません。
ただ、事業委員会は、テナントミックス事業が終わるまで継続することになっていて、毎年木藤さんの成果を採点していました。
最初の2年間は空き店舗に1件しか誘致できなかったので、周囲からは非難の声が強かったのですが、「採点するのは自分たちだから心配するな」と応援する事業委員会でもありました。
油津商店街の店舗誘致数の推移
事業の評価も自分たちで考える
最後に、中活事業の評価は定住人口や通行量などが評価軸になっていますが、まちづくりの評価としては最終的な結果しか評価されません。
「まちづくりはプロセスだ」という気持ちもあって、中活事業のプロセスそのものを評価したいと思いました。
5年目は中活事業を通じてまちづくり事業を企画する側の人がどれだけ増えたのか、といった人づくりの部分も評価したいと思い、国の評価だけでなく、評価軸自体を自分たちで考えようと、これまで中活事業に関わった人たちに記事を書いてもらった評価報告書をつくっています。
こちらはネットにもあるので、閲覧してもらえればと思います。
日南市中活事業報告書
中活事業で得た財産を活かしたまちづくり
以上が高尾先生のお話でした。
その後に参加者との意見交換を行ったのですが、そこでは地元の覚悟とまちづくりの持続性についての話題になりました。
油津の中活事業は少なくない額の補助金を使っていて批判もあった事業なので、市の担当者も覚悟とエネルギーが必要だったようです。
高尾先生の話の中にもなんども職員の名前が出てきましたが、関係する組織運営だけでも相当大変です。市民への説明などでは職員が矢面に立つ場面も少なくなかったそうです。
市長の交代や中活事業の終了を経て、油津ではこれまで外部から関わっていた人たちはほとんどいなくなってしまいました。
油津全体のコーディネートをしたり、まちづくりを引っ張っていく人は民間にも行政にも少なくなっているそうです。
中活事業後の話を聞くと落差を感じて悲観的になってしまいますが、誘致した店舗やまちづくり会社の油津応援団は活動を続けています。
もともとまちづくりがなかったところに、まちづくりの新しいプレーヤーたちが集まり、母体ができたことは得難い成果だと思います。
外部の人も頻繁には来れなくなったかもしれませんが、ネットワークでつながっているし、応援もしてくれるはずです。
今回の中活事業で得た財産を活かして、新たなプレーヤーたちがこれからどのように油津のまちを盛り上げていくのか、私はむしろこれからのまちづくりに期待したいと思っています。
補足
写真、資料等はすべて日南市中心市街地活性化事業報告書から抜粋しました。